法事で喪服に袖を通したとき、あるいは実家の仏壇や墓石をふと見上げたとき。
「うちの家紋、下がり藤なんだ」と大人になって初めて知った。そういう方、案外多いのではないでしょうか。調べてみると「藤原氏ゆかりの紋らしい」と分かって、少し誇らしい気持ちになる。
でもすぐに
「じゃあうちは名門なの?」
「苗字に藤の字もないのに、なぜこの紋なんだろう?」
という疑問が追いかけてきます。
結論から先にお伝えします。下がり藤は、確かに藤原氏にゆかりのある由緒正しい紋です。ただし、この紋を持っているからといって藤原氏の子孫だと言い切ることはできません。
そして最後まで読んでいただければ、目の前の下がり藤が「家の定紋」「宗派の紋」「女紋・通紋」のどれにあたるのか、自分の手で見分けられるようになります。一緒に、家の紋の正体を確かめていきましょう。
家紋の専門データベースサイト、室町時代に成立した武家紋帳『見聞諸家紋』、春日大社・西本願寺といった公式サイトの情報を突き合わせ、出典を示しながらまとめました。
下がり藤の基本データ|読み方・かたち・藤紋の中での位置
まず押さえておきたいのは、読み方とかたち、そして藤紋という大きなグループの中での位置づけです。
「下り藤」と「下がり藤」は同じ紋
下がり藤は「さがりふじ」と読みます。「下り藤」という表記もよく見かけますが、これは送り仮名の違いだけで、同じ紋を指しています。実は家紋の専門データベースサイトでは、むしろ「下り藤」表記のほうが多く使われているくらいです。「さがりふじ」で検索していた方も「下り藤」で検索していた方も、この記事はすべて同じ紋の話として読み進めてください。
花房が下向きに垂れる、その名の通りの形
下がり藤は、藤の花房を自然に垂れた姿のまま、丸く配して描いた紋です。名前のとおり、花房が下を向いているのが特徴です。上向きに描いたものは「上がり藤」と呼ばれ、こちらは後ほど詳しく扱います。
十大家紋・五大紋という位置づけ
藤紋は、日本でとくによく使われてきた「十大家紋」(柏・片喰・桐・鷹の羽・橘・蔦・藤・茗荷・木瓜・沢瀉の10種)の一つです。さらにそのなかでも使用数の多い「五大紋」(片喰・桐・鷹の羽・藤・木瓜の5種)にも入ります。「下がり藤の家紋は多い?」の答えは、まさにここ。藤紋は、日本の家紋のなかでもとくに多くの家に使われてきた系統なんです。
下がり藤を基本の形として、囲みや花房の配置を変えた派生を含めると、藤紋は200種類以上が確認されています。派生の全体像は、このあとの「種類一覧」で見分け方ごと見ていきます。
下がり藤でわかる家柄・わからない家柄
「うちの家紋が下がり藤ということは、藤原氏の子孫なんですか」。この問いに、正面から答えます。
藤原氏と藤紋を結ぶ、史料で言える範囲
平安時代、藤原氏は朝廷で強い権勢を握った一族でした。本流(摂関家)から分かれて各地に土着した庶流の中に、自分たちの出自を示す記号として藤紋を採用した家系があったと考えられています。越前(現在の福井県)に土着した藤原利仁(としひと)の系統(利仁流)は、その代表例として知られています。
家紋にあやかることが、普通に行われた時代
ここで押さえておきたい事実があります。家紋には、苗字のような法的な登録・使用制限がありません。江戸時代を通じて、名家にあやかって紋を採用したり変更したりすることは、ごく普通に行われていました。藤紋を使っているからといって、藤原氏の血を引いているとは限らないんです。
これは縁ノ研が独自に言っていることではありません。家紋の専門データベースサイト「家紋のいろは」自身が、藤紋のカテゴリー紹介文の中で、この点をはっきり書いています。専門サイト自身がそう明記しているという事実を、まず押さえておいてください。
藤原氏の本流・近衛家の紋は「牡丹」
もう一つ、決定的な事実があります。藤原氏の嫡流にあたる五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)のうち、筆頭である近衛家が定紋にしているのは、藤ではなく「牡丹」(近衛牡丹)です。一条家・二条家・九条家は藤紋を用いていますが、近衛家と鷹司家は牡丹紋。藤原氏のなかでもっとも格式が高い家自体が、藤を紋にしていません。
「下がり藤=藤原氏、上がり藤=それ以外」という俗説の出どころ
検索していると、「下がり藤は藤原氏、上がり藤はそれ以外の家が使った」という説を見かけることがあります。これは典拠のない俗説です。家紋の専門データベースサイト「家紋のいろは」自身が、上がり藤の解説ページで、この説について「俗説がある」と明記しています。
実際、藤原氏の庶流である利仁流も上がり藤を使用した例が知られていて、向きだけで藤原氏かどうかを判定することはできません。血液型で性格を決めつける話と少し似ています。当てはまった例だけが語り継がれ、当てはまらない例は忘れられていく。俗説が広まる仕組みは、たいていこの形をしています。
下がり藤から読み取れる、家の来歴のかたち
ここまでの話をまとめると、下がり藤という紋一つから、藤原氏の子孫だと断定することはできません。ですがこれは「何もわからない」という意味ではありません。
どこかの代の先祖が、藤原氏という当時もっとも権勢のあった一族にあやかりたいと考えるだけの、由緒や格式への意識を持っていたこと。それ自体は、確かに読み取れる事実です。血のつながりが証明できなくても、その意識を持っていたという歴史は、あなたの家の来歴の一部として、確かにそこにあります。
この、あやかりたいという意識は藤原氏だけの話でもありません。名家にちなんで紋を選んだ家は、藤原氏以外にも数えきれないほどあります。
大事なのは、その意識が形を変えながら、今のあなたの手元まで伝わっているという事実そのものです。
つむぎ所長調べれば調べるほど、断定しないことのほうが、家の歴史には誠実な態度なんだと感じました。
藤原氏との関係、家柄の断定可否、俗説の扱い。ここまでの話を5つの項目に整理します。
言えることと言えないことを、並べておきます。
- 藤原氏との関係:庶流が出自を示す記号として採用した例がある(諸説)
- 藤紋=藤原氏の証明になるか:断定できない(専門サイト自身が明記)
- 近衛家(藤原氏嫡流)の紋:牡丹であり藤ではない(出典あり)
- 上下の向きと藤原氏の関係:典拠のない俗説
- 家の来歴として言えること:由緒にあやかりたいという先祖の意識があったこと
下がり藤の種類一覧|丸・輪・公家藤・武家藤の見分け
「下がり藤 家紋一覧」で検索してここに来た方は、おそらくここが本題のはずです。
丸に下がり藤、九条藤、大久保藤……名前は似ているのに何が違うのか、言葉で説明しているページはなかなか見つからなかったのではないでしょうか。見分けの軸を3つに絞って整理します。
見分けの3つの軸|花房の向き・囲みの有無・花房の数

下がり藤の派生紋は、次の3つの軸で分かれていきます。
1つ目は花房の向き。下向きなら下がり藤、上向きなら上がり藤です。
2つ目は囲みの有無と種類。丸(輪)で囲むか囲まないか、囲む場合も細輪・隅切り角・五瓜(ごか)などいくつかの型があります。
3つ目は花房の本数・配置。一条・二条・六条・九条というように、公家の家ごとに花房の数や配置を変える文化がありました。
この3つの問いに順番に答えていくだけで、実物や写真からでも、どの派生紋かをある程度絞り込めます。同じ骨格から家ごとに少しずつ違うデザインへ枝分かれしていったのが、藤紋という一族なんです。
丸に下がり藤と細輪に下り藤|囲みで変わる名前
下がり藤そのものに丸(輪)を添えた紋が「丸に下がり藤」です。囲みを太い丸ではなく細い線にしたものは「細輪に下り藤」と呼ばれます。囲みが二重になったものは「陰下がり藤」、花房を長く伸ばしたものは「長下がり藤」。囲みや形の細部によって名前が変わっていきます。
九条藤・二条藤という公家の藤
公家の九条家・二条家では、花房の数や配置を変えることで家ごとに紋を区別してきました。九条家が用いた「九条藤(九条下り藤)」のほか、一条藤・二条藤・六条藤・西六条藤・東六条藤など、花房の条数を示す名前が多く見られます。同じ下がり藤を基本にしながら、公家の家ごとの個性を花房の本数で表した派生です。
黒田藤・大久保藤・加藤藤という武家の藤
武家の場合は、囲みや添え紋で家ごとの独自性を出す傾向がありました。大久保氏が用いた「大久保藤」、加藤家や伊藤家がそれぞれ独自に整えた「加藤藤」「伊藤藤」、内藤家の「内藤藤」、柴田家の「柴田藤」などが知られています。
戦国武将・黒田官兵衛で知られる黒田家の「黒田藤」も藤紋の系統に連なる紋ですが、下がり藤そのものではなく藤巴(ふじどもえ)という別系統の派生紋。ここは混同されやすいので注意が必要です。
上がり藤との違いと、その位置づけ
ここまで、丸に下がり藤・九条藤・大久保藤といくつもの派生紋の名前が出てきました。名前だけを一つずつ追おうとすると、途中で混乱しやすくなります。
そこで、見た目のポイントと由来を一つの表にまとめておきます。
| 紋名(見た目のポイント) | 由来・使った家・使われる場面 |
|---|---|
| 下がり藤(花房が下向き) | 藤紋の基本形。藤原氏庶流が採用した例が伝わる |
| 丸に下がり藤(外側を丸で囲む) | 武家・庶民の家紋として広く普及 |
| 細輪に下り藤(囲みが細い線) | 丸に下がり藤の変形。囲みの太さ違い |
| 陰下がり藤(囲みが二重) | 同族での区別のための変形 |
| 九条藤・二条藤(花房の条数で区別) | 公家・九条家、二条家など摂関家系統 |
| 大久保藤・加藤藤・伊藤藤・内藤藤(独自の添え紋) | 大久保氏・加藤氏・伊藤氏・内藤氏など武家 |
気になる紋が表に見当たらなければ、花房の向き・囲み・数の3つの軸にもう一度戻ってみてください。
「藤」のつく苗字と下がり藤の関係
佐藤・伊藤・加藤・近藤・遠藤・後藤・工藤・斎藤・安藤・内藤。「藤」のつく苗字(名字)は数多くあります。なぜこれほど多いのか、そして「藤」がつかないのに下がり藤を使う家があるのはなぜか。ここで見ていきます。
「◯藤」という苗字の組み立て方
「◯藤」という苗字の多くは、「藤」の前の一字が先祖の任国(赴任した国)・地名・官職を示していると考えられています(諸説)。
伊藤は伊勢の藤原、加藤は加賀の藤原、近藤は近江の藤原、遠藤は遠江の藤原、尾藤は尾張の藤原、武藤は武者所(むしゃどころ、武家の役職)の藤原、工藤は木工助(もくのすけ、官職名)の藤原、斎藤は斎宮頭(さいぐうのかみ)の藤原、内藤は内舎人(うどねり、官職名)の藤原という説が伝わっています。
会社の支店名に「大阪支社」「名古屋支店」と地名がつくのと同じ発想で、赴任先の地名を苗字に取り込んでいったイメージです。
佐藤・後藤・安藤は、由来の説がとくに割れていて一つに断定できていません(佐藤は左衛門尉の藤原、あるいは佐渡の藤原という説などが伝わっています)。
藤がつかない家に伝わる下がり藤
一方で、「うちは鈴木なのに家紋は下がり藤」「山田だけど下がり藤らしい」というように、苗字に藤の字がないのに下がり藤を使う家も少なくありません。
室町時代に成立した武家紋帳『見聞諸家紋』には、三河の鈴木氏(熊野神官の系統)、播磨の小寺氏、摂津の伊丹氏など、「藤」のつかない苗字の家が藤紋を用いていた記録が残っています。
信仰や主家からのあやかりなど、血縁以外の理由で紋を受け継いだ家が、当時から一定数あったということです。
同じ苗字でも紋が分かれる理由
逆に、「藤」がつく苗字だからといって必ず下がり藤とは限りません。
加藤家には「加藤藤」、伊藤家には「伊藤藤」という、それぞれ独自に整えた紋があるように、同じ苗字の一族でも分家や系統によって紋を変えていった例があります。
「藤」のつく苗字の分解を、並べておきます。
- 伊藤:伊勢の藤原(諸説)
- 加藤:加賀の藤原(諸説)
- 近藤:近江の藤原(諸説)
- 遠藤:遠江の藤原(諸説)
- 工藤:木工助の藤原(諸説)
- 斎藤:斎宮頭の藤原(諸説)
- 内藤:内舎人の藤原(諸説)
- 佐藤・後藤・安藤:由来の説が複数割れていて、一つに確定できない
下がり藤を定紋にした武将・大名
「有名な人でこの紋を使った人はいるの?」と気になった方向けに、実名を挙げていきます。
下がり藤を定紋にした武将・大名の一覧
加藤嘉明(かとうよしあき、賤ヶ岳七本槍の一人・伊予松山藩祖)は藤原北家利仁流を称した家系で、下がり藤紋を定紋の一つとして用いていました。
後藤又兵衛(基次、大坂の陣で名を馳せた武将)、成瀬正成(尾張徳川家の付家老・犬山城主)、近藤秀用(井伊谷藩)も、下がり藤を用いた武将として知られています。
近江水口藩(滋賀県)の加藤氏は下がり藤を定紋としていたことが記録に残っており、内藤家(延岡藩)も藤紋の系統を伝えています。
- 加藤嘉明:賤ヶ岳七本槍・伊予松山藩祖。下がり藤紋
- 後藤又兵衛(基次):大坂の陣の武将。下がり藤紋
- 成瀬正成:尾張徳川家付家老・犬山城主。下がり藤紋
- 近江水口藩・加藤氏:江戸期の藩主家。下がり藤を定紋
- 黒田家(黒田官兵衛):藤巴(下がり藤とは別系統。混同注意)
- 九条家・二条家・一条家:五摂家のうち藤紋の系統
公家側では、九条家・二条家・一条家・醍醐家など藤原氏の摂関家・公家が藤紋を伝えてきました。武家は囲みや添え紋、公家は花房の数や配置で家を区別します。
このすみ分けは、前の章の見分け方とそのままつながっています。
神社と寺に伝わる下がり藤|春日大社の社紋と浄土真宗の寺紋
実家の家紋とは別に、仏壇や位牌、あるいはお寺の紋として下がり藤を見かけたことはありませんか。実はこれ、家の紋ではなく別の意味であることが多いんです。まず、下がり藤を紋として掲げる代表的な神社と寺から見ていきます。
春日大社の社紋としての下り藤
奈良の春日大社は、藤原氏の氏神(うじがみ)を祀る神社で、社紋は「下り藤」です。境内に自生してきた藤と、藤原氏の由緒にちなむとされています(公式サイト確認)。大阪の枚岡神社(元春日と呼ばれる神社)も、神紋に下り藤を用いています。
浄土真宗本願寺派の寺紋・門徒紋という顔
仏壇の下がり藤が家紋とは限らない事情
春日大社も西本願寺も、下がり藤を紋として掲げています。神社の紋と、お寺の紋。ここまで読んで、あることに気づいた方もいるかもしれません。
仏壇まわりで見かける下がり藤の多くは、実はこの浄土真宗本願寺派の宗紋のほうなんです。
仏壇の欄間や打敷、位牌に見える下がり藤は、その家の家紋ではなく、浄土真宗本願寺派の門徒であることを示す宗紋(門徒紋)である場合があります。家の紋と、信仰する宗派の紋は別のレイヤーの話なんです。
「実家の家紋は別なのに、仏壇や仏具には下がり藤が入っている」という食い違いに戸惑ったことがある方は、ここで一度立ち止まってみてください。原因は、家の紋と宗派の紋を同じものだと思い込んでいることにあります。
実家の家紋と仏壇の紋、両方をそのまま覚えておいて大丈夫です。どちらかが間違っているわけではありません。
つむぎ所長仏壇の紋と実家の紋が違っていても、家系がおかしいわけじゃありません。この切り分けを知らないまま悩んでいる方、案外多いんじゃないかと思います
春日大社と藤の花|藤の園・藤まもり
春日大社の萬葉植物園には「藤の園」があり、20品種・約200本の藤が植えられています。開花は例年4月中旬から5月初旬ごろで、年により前後します。
開花期にあわせて「藤まもり」という授与品も出されており、公式サイトによれば初穂料は1,000円で、例年4月上旬ごろから授与が始まります。
開花状況によって毎年授与の開始・終了時期が前後するため、その年の詳しい時期は公式サイトで確認してみてください。
自分の家の下がり藤を確かめる手順
ここまでの内容を踏まえて、目の前にある下がり藤が、家の定紋なのか、宗派の紋なのか、それとも女紋・通紋なのか、自分で確かめる手順に進みます。
墓石・仏壇・紋付から確かめる順番
まず手をつけやすいのは、家にすでにある紋を集めることです。次の順番で見ていくと、複数の紋が出てくることがあります。
- 墓石(正面の上部や花立まわり)の紋を確認する
- 仏壇・仏具・位牌にある紋を確認する
- 紋付や留袖・喪服の紋を確認する
- 実家の蔵書や過去帳に紋の記載がないか確認する
- 本家や親族に、いつ頃からその紋を使っているか聞いてみる
形が違う紋が複数見つかった場合は、どれか一つを「正式」と決めつけず、そのまま記録しておくのがおすすめです。紋の名前を特定するには、「種類一覧」で紹介した「花房の向き→囲みの有無→花房の数」の3つの問いに戻ってみてください。
過去帳と戸籍でさかのぼれる範囲
過去帳や位牌には先祖の戒名・没年が記されていることが多く、家のルーツをたどる手がかりになります。戸籍は、現在の戸籍から改製原戸籍・除籍とさかのぼって請求すると、過去の本籍地が分かることがあります。ただし戸籍でさかのぼれる範囲には限りがあり、多くの場合、江戸時代末期あたりが実質的な限界です。それより前は、過去帳や墓石、親族への聞き取りが頼りになります。
着物の下がり藤と女紋・通紋
着物の紋についても、知っておくと安心できることがあります。関西を中心に、女性が母方から紋を受け継ぐ「女紋(おんなもん)」という慣習があります。また、黒紋付(喪服)には家の紋ではなく、女性なら誰でも使える「通紋(つうもん)」を用いることがあり、下がり藤は五三の桐・横木瓜・桔梗・梅鉢などと並ぶ、代表的な通紋の一つとして扱われてきました。実家の紋と、着物や嫁ぎ先の紋が違っていても、マナー違反とは限らないんです。
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3つの下がり藤の切り分け方
目の前の下がり藤は、①家の定紋、②宗派の紋(門徒紋)、③女紋・通紋、のどれかに当てはまります。どこで見た紋かによって、この3つを切り分けることができます。

墓石に入っている紋は、家の定紋である可能性が高いといえます。仏壇や位牌だけに見える紋で実家の墓石の紋と違う場合は、宗派の紋(門徒紋)である可能性を。着物だけに入っている紋で実家や嫁ぎ先の紋と違う場合は、女紋・通紋である可能性を考えてみてください。この3つを混同しないことが、うちの紋を正しく理解する第一歩です。

まとめ:下がり藤という家紋の受け取り方
下がり藤は、藤原氏ゆかりの由緒ある紋でありながら、この紋一つで藤原氏の子孫だと断定することはできません。藤原氏の嫡流・近衛家の紋が牡丹であること、上下の向きで血筋を分ける説が俗説であること。この2つを踏まえれば、はっきり言えることです。
それでも、どこかの代の先祖が、藤原氏という当時もっとも権勢のあった一族にあやかりたいと考えた、その由緒への意識は確かにあった。血のつながりが証明できなくても、そこは自信を持っていい部分です。
種類は丸に下がり藤・九条藤・大久保藤など多岐にわたり、苗字も藤のつくものからつかないものまで幅広く広がっています。目の前にある紋が家の定紋なのか、宗派の紋なのか、女紋・通紋なのか、3つに切り分けて考えれば、これまで説明がつかなかった食い違いにも、たいてい理由が見つかります。
うちの下がり藤の輪郭が、ここで少しでもはっきりしたなら、それで十分です。



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