笹竜胆の家紋の意味は?うちは源氏の子孫かも解説

笹竜胆の家紋を竹林と竜胆の花、鎌倉の石塔とともに描いた図鑑風イラスト
  • URLをコピーしました!

「うちの墓石の紋、笹竜胆(ささりんどう)なんだって。源氏の家系ってこと?」法事のあと、親戚にそう言われて検索した人は多いはずです。

笹竜胆の家紋は、竜胆(りんどう)の花3つと笹に似た葉5枚を描いた紋です。村上源氏・宇多源氏の公家が使った紋で、「源氏の紋」とも言われます。

でも、紋だけでは源氏の子孫とは言えません。言えるのは「源氏ゆかりの紋の家」までです。

結論:笹竜胆の家紋の意味は?
  • 笹竜胆は、竜胆の花3つと笹に似た葉5枚を描いた家紋
  • 使ったのは村上源氏・宇多源氏の公家と、石川・木曽など清和源氏の一部
  • 頼朝が使った証拠は一切残っていない
  • うちの紋が笹竜胆なら「源氏ゆかりの紋の家」と言う。子孫かは本家の記録で決める
  • 丸に笹竜胆は別の紋。丸の有る無しは本家に合わせる

意味と形、源氏の紋と言われるわけ、頼朝との関係、うちが子孫かの見分け方、使う苗字・武将・有名人、丸に笹竜胆などの種類まで、順に答えます。

鎌倉の市章のページ、観光庁の多言語解説文データベース、国立国会図書館、家紋データベースの家紋のいろは、家系図制作会社の家族のルーツを突き合わせました。

読み終えたら、親戚に「うちの紋は何? 源氏なの?」と聞かれても、1分で答えられます。まず、本家の墓石か紋付の紋の葉と花を数えてから読み進めてください。

目次

笹竜胆の家紋の意味は?形と使った家の一覧

笹竜胆の家紋は、竜胆の花3つと笹に似た葉5枚を描いた紋です。村上源氏・宇多源氏の公家と、石川氏・木曽氏など清和源氏の一部が使いました。

源氏の代表紋と言われますが、頼朝が使った証拠は一切残っていません。

知りたいこと答えじゃあどうする
意味は?竜胆の花3つと笹に似た葉5枚の紋手元の紋の葉と花を数える → 笹竜胆の形
誰の家紋?村上源氏・宇多源氏の公家、石川・木曽など清和源氏の一部苗字を使った家の表と照らす → 苗字と武将
源氏の紋?村上源氏・宇多源氏の代表紋。清和源氏で使ったのは一部人には「源氏ゆかりの紋」と言う → 源氏の紋か
頼朝の紋?使った証拠は一切残っていない「頼朝の紋」とは言わない → 頼朝と笹竜胆
うちの紋なら源氏の子孫?紋だけでは決まらない本家の記録で表の家につながるかを見る → 子孫か
丸に笹竜胆は?笹竜胆を円で囲んだ別の紋丸の有る無しを本家の紋に合わせる → 丸に笹竜胆

笹竜胆の形(葉5枚・花3つ)

笹に似た5枚の葉を下向きに広げ、その上に3つの花を置く。これが笹竜胆の形です。

墓石や紋付では、まず葉を数えます。花が5つで車のように並んでいたら、笹竜胆ではなく竜胆車という別の紋です。

竜胆と笹という名前の意味

「竜胆」は漢名で、根の味が竜の胆(きも)のように苦いから、という由来です。「笹」は若竹ではなく、竜胆の葉が笹に似ているからです。

竜胆は『万葉集』『枕草子』に出てきます。平安時代には、衣装・調度品・乗り物の文様でした。

家紋になったのは鎌倉時代初期と考えられている、と家族のルーツは書いています。

手元の紋は、葉5枚・花3つが数えられれば笹竜胆です。丸などの囲みがあるかは、あとの種類の章で見分けます。

笹竜胆の家紋は源氏の紋?源氏の子孫かの見分け方

笹竜胆の家紋は「源氏の紋」と言われます。ただし使ったのは、源氏の中でも村上源氏・宇多源氏の公家と、清和源氏の石川氏・木曽氏など一部の家です。

家紋が笹竜胆というだけでは、源氏の子孫とは言えません。言えるのは「源氏ゆかりの紋を受け継ぐ家」までです。

笹竜胆を使った源氏の家

「竜胆紋は源氏の代表紋」というのは俗説だと、家紋のいろはは書いています。実際に使ったのは、村上源氏・宇多源氏の一門と、清和源氏の一部だけです。

その家を、系統ごとに並べます。

分け方竜胆紋を使った家
村上源氏の公家久我・六条・中院・愛宕・岩倉・千種・植松・東久世・久世・梅渓
宇多源氏の公家五辻・慈光寺・庭田・綾小路・大原
清和源氏公家の竹内、武家の石川・木曽
江戸時代の大名家石川・本堂・池田の三氏

この表は、竜胆紋を使った家として2つの出典が挙げる家です。

宇多源氏でも、佐々木氏の紋は目結紋(隅立て四つ目結)で、竜胆紋ではありません。

武家に少ないのは、公家で流行したので遠慮したのだろう、という推定です。

源頼朝・源義経と笹竜胆

源頼朝が笹竜胆を使った証拠は、一切残っていません。

鎌倉市の市章のページに、頼朝の指物(さしもの。鎧の背などにさした小旗や飾り物)は白旗のみとあります。

「竜胆紋を使っていたという証拠は一切残っていない」。続けて「頼朝の使っていた紋どころだったかどうかは不明」とも書いています。

同じページが、笹竜胆と頼朝を結ぶ話を2つ挙げています。どちらも「あるようです」と書く距離です。

1つは、江戸時代になってから笹竜胆を頼朝の家紋に当てはめた説。もう1つは、頼朝が狩りで乙女(のちの北条政子)からリンドウを捧げられた説です。

歴史メディアのJapaaanは、頼朝自身は家紋を持たず、無地の白旗だけを掲げたと書いています。

例に挙がるのは、奥州藤原氏を攻めた戦の話です。

  • 常陸の武将が、無地の白旗で参陣した
  • 平氏が滅んで世の中がみな白旗(源氏の味方)になったので、紛らわしいから印をつけなさいと咎めた(Japaaanの意訳)
  • 満月を描いた五本骨の扇を、旗につけさせた(佐竹扇の由来とされる)

なぜ源氏の紋と言われるのか。いちばん筋が通ると考えられる理由は、源氏の代表である源氏長者を出した村上源氏の久我家・中院家が、竜胆紋だったことです。

  • 源氏長者は、村上源氏の源師房の嫡流(久我・堀川・土御門・中院)から選ばれるようになった
  • 久我家・中院家は竜胆紋で、家族のルーツは「源氏の代表紋の認識が定着したのかもしれません」と書く
  • 歌舞伎の『勧進帳』『曽我の仇討』などで、源氏を表すものとして笹竜胆が使われる

義経と笹竜胆が結びつく話は、2つあります。

  • 鎌倉市のページは、歌舞伎で笹竜胆が源氏を表すものとして使われると書いています。『勧進帳』は義経が主役の物語なので、そこから義経と重ねて見られやすくなります(出典が言うのは歌舞伎で源氏を表すところまでで、義経との重なりは筆者のつなぎです)
  • 義経がチンギス・ハンになったという説の中で、笹竜胆の紋が語られます(よくある質問)

「義経の紋でしょ」と言われたら、「源氏の印として、芝居や伝説で義経と結びつけられる紋」と返します。

うちの紋が笹竜胆なら源氏の子孫?

家紋が笹竜胆というだけでは、源氏の子孫とは言えません。

人に話すときは「源氏ゆかりの笹竜胆を受け継ぐ家」と言います。「源氏の子孫」と言うのは、本家の記録で上の表の家につながったときだけです。

理由は2つです。

  • 笹竜胆を使った源氏は、一部の家だけ
  • 丸に笹竜胆の苗字に、佐藤・高橋・渡辺も並ぶ

紋が同じでも、家の流れは家ごとに別です。

笹竜胆について言えることを、3段に分けます。

段笹竜胆で言えること
確かめられること使った家(村上源氏・宇多源氏の公家、石川・木曽・本堂・池田)/鎌倉の市章は1952年11月3日の制定/歌舞伎で源氏の印として使われる
推測源氏の代表紋になったのは、源氏長者を出した久我家・中院家が竜胆紋だったからかもしれない → 頼朝と笹竜胆
確かめようがないこと頼朝本人が使ったか(鎌倉市のページが「不明」と書く)

だから、紋から言えるのは「源氏ゆかりの紋の家」まで。その先は、家の記録で決めます。

丸に梅鉢の家紋も、紋だけでは家系が決まらない点は同じです。

源氏の子孫か調べる4つの手順

  1. 本家の墓石・仏壇・紋付の紋を写真に撮る
  2. 葉が5枚・花が3つか、囲み(丸・雪輪・隅切り角)があるかを見る → 種類
  3. 苗字を、使った家の表と苗字の表で照らす → 苗字と武将
  4. 菩提寺の過去帳と本家の古い記録で、表の家につながるかを見る

家紋の有無から調べ直したい人は、こちらも読んでください。

笹竜胆の家紋を使う苗字と武将・有名人

笹竜胆の家紋を使う苗字で、いちばんはっきりしているのは石川です。『羽継原合戦記』に「ささりんどうは石川」とあると載っています。

戦国武将では石川数正・木曽義昌・北畠具教ら、有名人では岩倉具視が挙がります。

分け方苗字
笹竜胆を使う苗字立松・石塚・福島・野尻・別所・本堂・馬場・吉川・守山・松野・上田・小幡・赤松・高倉・堀川・六条・久世・岩倉・千種・梅渓・愛宕・東久世・植松・庭田・綾小路・大原・五辻・慈光寺・竹内・岡本・今大路・佐脇・木曽・清野・千葉・北畠・浪岡・神野・山崎・池田・石川・市川・和賀
丸に笹竜胆を使う苗字市川・石川・岡野・浅井・飯塚・岩倉・植松・竹内・笹瀬・庭田・松井・本間・山崎・間瀬・宮川・古橋・渡辺・樋口・小川・平野・須賀・村上・藤井・多田・佐藤・高橋

この表は、笹竜胆・丸に笹竜胆の使用苗字として、同じデータベースが挙げる家です。

石川と笹竜胆

松本藩主の石川家(1590〜1613年)の家紋は笹龍膽だと、観光庁の多言語解説文データベース「松本藩主の家紋」が説明しています。

石川数正は1590年に8万石で松本に入った、石川氏の最初の城主です。1593年には石川康長が松本城天守の工事を始めました(松本市「松本城の歴史」)。

伊勢亀山藩石川氏は、丸で囲んだ太めの「石川竜胆」です(種類)。「笹竜胆 石川」の石川は、苗字の石川氏のことです。

笹竜胆を使った戦国武将

石川数正・北畠具教・浪岡具運・木曽義昌・馬場信房・山崎片家・池田恒興・市川清長・上田重安・和賀義忠の10人が、笹竜胆の武将として挙がっています。

木曽義昌は、木曽氏の当主です。

笹竜胆の有名人

笹竜胆の有名人は、岩倉具視です。幕末維新で笹竜胆を使った人として挙がっています。

岩倉具視は文政8年(1825年)の京都生まれで、岩倉具慶の養嗣子です(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)。岩倉家は村上源氏の公家です。

笹竜胆の家紋の種類と丸に笹竜胆

笹竜胆の家紋は、囲み(丸・雪輪・隅切り角)と描き方(細い・輪郭だけ・地を抜く)で種類が分かれます。丸に笹竜胆は、笹竜胆を通常の太さの円で囲んだ紋です。

竜胆紋のページは、笹竜胆を含めて47あります。

紋の名前形
笹竜胆5枚の葉を下向きに広げ、上に花3つ
丸に笹竜胆笹竜胆を通常の太さの円で囲む
丸に細竜胆細く描いた笹竜胆を円で囲む
陰痩笹竜胆細い笹竜胆を輪郭線だけで描く
石持ち地抜き笹竜胆地と反対色の円に、色を抜くように笹竜胆を描く
雪輪に笹竜胆雪輪で囲む
隅切り角に笹竜胆小さな笹竜胆を、角を切った四角で囲む(使用苗字:宮下・石川)
石川竜胆やや太い5枚の葉に花3つ、丸で囲む(伊勢亀山藩石川氏)

手元の紋が、どれに当たるか。次の図で、上から順に答えてください。

笹竜胆の家紋の見分け方を、花と葉の形、円や雪輪などの囲み、葉の太さで順にたどる図。丸に笹竜胆、石川竜胆、竜胆車などの名前にたどり着きます。

丸に笹竜胆

丸に笹竜胆は、笹竜胆を通常の太さの円で囲んだ紋です。紋帳では笹竜胆とは別の名前で並び、使う苗字も別に挙がります(苗字の表)。

墓石や紋付に入れるときは、丸の有る無しを本家の紋に合わせます。

笹竜胆に似た竜胆紋

竜胆車は、5つの花と5枚の葉を交互に車のように並べた紋です。

久我竜胆車は、その内側に二重の五角形をずらして描きます。公家の久我家の紋で、福井県永平寺の寺紋でもあります(久我竜胆車の紋のページ)。

抱き竜胆は、花1つと葉1枚の竜胆を2つ、左右から抱くように合わせた紋です(使用苗字:石川・山田)。

見分けは、花が3つで葉が下に広がれば笹竜胆の仲間、です。

笹の名が付く別の紋は、こちらです。

笹竜胆の家紋のよくある質問

ここまでの章で扱わなかった疑問に、1つずつ答えます。

笹竜胆の家紋のルーツは?

竜胆は平安時代から衣装や乗り物の文様で、家紋になったのは鎌倉時代初期と考えられています。源氏の代表紋と言われるようになったのは、源氏長者を出した久我家・中院家が竜胆紋だったからかもしれません。くわしくは頼朝と笹竜胆へ。

源氏の家紋は?

源氏でも系統で違います。村上源氏・宇多源氏の公家は竜胆紋、宇多源氏の佐々木氏は目結紋、清和源氏で笹竜胆を使ったのは石川・木曽など一部です。くわしくは笹竜胆を使った源氏の家へ。

笹竜胆が鎌倉の市章なのはなぜ?

笹竜胆が頼朝の家紋と言われ、鎌倉が頼朝ゆかりの地だからです。1952年11月3日の制定で、5枚の葉を扇状に重ねて花を3つ置いた形です。くわしくは頼朝と笹竜胆へ。

笹竜胆の家紋とモンゴルの関係は?

義経がチンギス・ハンになったという説から来ています。1924年に小谷部全一郎が広め、「成吉思汗は笹竜胆の紋を使用した(推定)」と主張しましたが、現代では学術的に否定されています。くわしくは頼朝と笹竜胆へ。

京都と笹竜胆の家紋の関係は?

笹竜胆を使った家の中心は、京都で朝廷に仕えた公家です。村上源氏の久我・中院・岩倉などがそうで、岩倉具視も京都生まれです。くわしくは笹竜胆を使った源氏の家へ。

笹竜胆の家紋のまとめ

笹竜胆の家紋は、村上源氏・宇多源氏の公家と清和源氏の一部が使った、源氏ゆかりの紋です。

頼朝の紋という証拠は無く、紋だけでは源氏の子孫とは言えません。言えるのは「源氏ゆかりの紋の家」までです。

  • 苗字が石川:本家の記録で石川氏につながるか見る
  • 苗字が岩倉・久世・庭田など:公家の家名。過去帳を見る
  • 苗字が表に無い:「源氏ゆかりの笹竜胆を受け継ぐ家」と言う
  • 丸に笹竜胆:別の紋。丸は本家に合わせる
  • 「頼朝の紋でしょ」と言われた:証拠は一切残っていない、と答える

今週のうちに、本家の墓石の紋を写真に撮り、葉5枚・花3つと囲みを確かめてください。

※この記事の情報は2026年10月6日時点のものです。

この記事を読んだ証に、研究員手帳へスタンプを押せます。

笹竜胆の家紋を竹林と竜胆の花、鎌倉の石塔とともに描いた図鑑風イラスト

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次